Our story ー“はまげん”がある理由ー

「今日、カニあるん?」

少年時代、海沿いの祖父母宅へ行くときに必ず確認していたことが、カニはあるのか?ということでした。
祖父母の家で従妹たちと取り合うのはお菓子ではなくワタリガニ。軽トラックで魚屋が行商にきたとき真っ先にチェックするのも、ワタリガニ。早食いが得意な食べ物は、もちろんワタリガニ!…といった具合で、我ながら思い出すだけでも笑えてくるほどのカニ愛。
ですが今思えば、幼いころから持っていたこの愛が、根底にある原動力かもしれません。


だいすきな海、おいしい魚、おもしろい漁師

日本は、本当に豊かな海に囲まれ、様々な美味しい海産物に恵まれています。
私も小さい頃からたくさんの美味しい魚やカニを食べさせてもらい、美しい海や川で思う存分遊ばせてもらいました。その結果まんまと魚大好き人間となり、水産系の大学で魚の生態や養殖技術を学ぶ道に進みます。

その後、福岡県庁に水産技術職として入庁し、4年間の県庁勤務を経て、出先機関である豊前海研究所に配属されました。ここでは資源管理を担当し、水産資源の管理のための調査や、資源を増やすための事業などに漁師さんたちと共に取り組みました。「仲間」と呼べる漁師さんたちが沢山できたのは、このころです。
漁師さんたちと一緒に活動するうちに、漁師の気質や営み方、日本の漁村文化の面白さに惹かれ始めます。魚だけでなく、浜の人や浜の地域、文化のことも大事だと考えるようになりました。


大好きなカニに危機到来

当時、豊前地域では私の大好きなワタリガニがたくさん獲れていました。しかし、資源調査をしてみると、「獲りすぎでは」という結果に。
 このままでは大好きなカニが食べられなくなるかもしれない。危機感を前に、カニを将来に残すためには獲り方を考えなくてはいけないと動き始めます。獲りすぎて、いなくなってからでは遅いのです。。

「もう少し獲る量を制限したらどうか?」仲間の漁師さんにそのことを話すと、「カニは安いから、これくらい獲らないと経営的に厳しいね。」との返答。
私は、「なに言ってるんだ?このまま獲り続けると、まったく獲れなくなるかもしれないのに?」と思ったことを覚えています。


海の資源と漁師の生活、どちらも浜に必要なこと

そんなある日、漁師さんの一日の売り上げを見せてもらう機会が訪れました。衝撃でした。多くの漁師さんが、言葉だけではなく”本当に厳しい”状況だったのです。資材代、燃料代、漁船の維持費、市場出荷の手数料…あらゆるものを賄うには明らかに不十分な現状。生活だって厳しい。
私は、大事なことに気づかされました。

魚と漁師、資源と経済、その両者は相互関係で成り立っていて、両方向からのアプローチが必要なのだということです。なぜなら、漁師は稼げなければ資源のことを思いやる余裕が生まれず、資源のことを無視していれば漁獲は下がりますます稼げなくなるから。
それ以降、「カニがもっと高く売れるなら今より獲る量を減らしても大丈夫じゃないか?」という考えで「どうすればこのカニが高く売れるのか?」というテーマに没頭します。
具体的には、ブランド化の仕掛けや生産者直売所、漁師レストランの開設など、日常的に漁獲物の単価を上げるため、漁協スタッフや漁師メンバーと共に取り組みました。「高く売れるようになったら、カニの獲り方を考えてほしい」と訴えつつ…


県職員の限界

粘り強く続けているうちにカニは高く売れるようになり、いい方向へ進んでいました。カニの資源管理については道中半といった感じでしたが、働きかけることはできていました。

一方で、自分の働きに限界が見え始めます。“福岡県の職員である”ということです。理由はいくつかありました。他の業務もあるため全ての時間をカニの取り組みに使うことができないこと、県内外あちこちにある、似たような状況の浜で同じように何か取り組みたくても、担当エリアを超えては一緒に取り組むことができないことなど…。県職員であるが故の限界です。


株式会社はまげんが、ある理由

「大好きなカニや魚を将来にわたってずっと食べたい。」
「仲間である漁師のみんなが、もっと笑顔で楽しそうにいてほしい。」
この2つの思いを軸に、資源の減少や魚価の低迷など、様々な苦しい課題を抱える漁協メンバーと一緒になって取り組み続けることで、日本中の浜を元気にしたい!

ひとつの地域の問題に対してだけでなく、様々な地域の問題を解決することが海の資源や漁師の生活をより良くすることに繋がると確信し、県庁職員を辞め、会社を立ち上げることにしました。